三笠宮さまは双子だった?山本静山尼が妹という説に迫る!

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こんにちは。

アラサーめがねことはるさめです。

昭和天皇の弟として生まれ

2015年12月2日に

元気な様子で100歳の誕生日を迎えた

皇族の方がいらっしゃいます。

それが、、、三笠宮さま!!

三笠宮さまは双子だった?01

大正天皇の四男として生まれた

三笠宮さまは皇族で唯一軍人として

太平洋戦争を経験し、

その経験を活かし戦後は戦争研究に

力を注がれています。

そんな100歳の誕生日を迎えられた

三笠宮さまですが、

実は双子だったという説があります。

どのような出生の秘密があるのかを

調査してきました。

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昔は双子は忌み嫌われる存在だった

三笠宮さまは双子だった?02

現代では双子や三つ子といえば

歓迎される存在となっていますが

戦後までは1人で生まれてこない

赤ちゃんは嫌われていました。

その嫌われっぷりは

日本書紀にも記載されており

かなり古くからある考え方です。

(ちなみにその時の双子の一人はヤマタノオロチを倒したことで有名なヤマトタケルです)

双子を嫌う考え方が

最もひどかったのは江戸時代でした。

特に二卵性双生児で

生まれてきた赤ちゃんは

前世で結ばれずに心中をした

カップルの生まれ変わりとされ、

ひとりを死産にしたことにして

隠れて養子に出したりするのが

常識となっていました。

いまでは珍しいことはステータスで

双子や三つ子の存在は

どちらかというと

うらやましがられる方が多いので

びっくりの考え方ですよね。。。

元気に生まれてきた赤ちゃんを

すぐに養子に出すなんて

かなりつらいことなのに

それが当たり前だという認識が

世間に広まるほど

生まれ変わり説が有力だったんですね。

当時、曽根崎心中とかが

流行っていたから

そういった時代背景も

あるのかもしれませんね。

三笠宮さまの双子説

三笠宮さまは双子だった?03

日本の皇室ジャーナリストである

河原敏明さんが出版した

「昭和天皇の妹君 謎につつまれた悲劇の皇女」

という本が全ての始まりでした。

そこに三笠宮さまは双子で生まれましたが

双子を忌み嫌った皇室の意向によって

双子の妹は生まれて間もなく

お寺に預けられて、

後に出家したと記載されていました。

その根拠となるのが、、、

三笠宮さまのひとつ上の兄である

高松宮さまが書き記した

高松宮日記にも記載されています。

高松宮日記第三巻
昭和15年11月19日「15:30円照寺着。お墓に参ってお寺でやすこ、
山本静山と名をかへていた。25になって大人になった」
とあります。
円照寺とは妹が預けられた寺でやすことはその妹のことです。
(本名は糸子だが皇族からはやすこと呼ばれていた)

これによると

円照寺の山本静山尼さん

ということになりますね。

身内からもこのような情報が

出るということは

三笠宮さまの双子説は

有力なのではないでしょうか。

皇室は双子説を全面否定

三笠宮さまは双子だった?04

この本の出版後、大きな話題となり

皇室だけでなく

山本静山尼さん本人への取材も

多数行っていましたが、

皇室も山本静山尼さんも

双子説を全面否定されています。

後に、三笠宮さま夫妻も

インタビューで双子説を

否定されているので

双子ではなかったということ

なのでしょうか。。。

両者の意見が真っ向から

対立しているので

判断が難しいです。。。

ただ、不可解なのは

本を出版した河原敏明さん

しばらくして双子説を

取り下げているのです!

何かしらの圧力があったのかと

疑わざるを得ないのは事実です。

DNA検査でもすれば

すっぱりとわかるところですが、

そんなことは不可能なので

真実は当事者の心の中だけにしか

ないということになりますね。。。

三笠宮さま双子説を

信じるか信じないかはあなた次第!

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